死神の才能





真っ暗な 深海の奥底深くに 身体が沈んで、 しばらくはそこで海草のようにゆらゆらとゆれていた。 そこはとても心地が良くて 何もかもがどうでもよくなるような、そんな 気がした。
しかし、ずうっとそれでいいのか、と、 ふと思った。 そう思った瞬間、身体が 何らかの暴発に煽られたように 一気に地上へと浮き上がった。



「ひぇえっ!」

十川イチトは とんでもなく情けない声を上げると しりもちをつき、ずるずると 後退った。そうして目をつぶって、 もう一度、見開く。目の前の ものが無くなっていればいいのにと 願った。しかし残念なことに それは確かに己の前に存在していた。

「やっと起きたか」

「しにがみっ!!」



イチトは裏返った声で 叫んだ。

言ってから、 恐怖で血の気が引きがくがくと 全身が小刻みに震えた。
目の前のそれはまさしく 今自分が認めたように、 死神そのものだった。 黒い古臭いローブを 頭からまとい、錆びて 刃先がぼろぼろになった 背丈ほどある大きなカマを抱えている。 目の下まで伸びたうっとうしい長い 髪の毛は彼の表情を完全に 隠してはいるが、 おおよそ優しさだとか 暖かさだとかは感じられない。



「ころさないでくださいっっ」

イチトは涙ながらに 懇願した。 自分はまだ20歳の 将来有望な大学生で、 これからやりたいこともたくさんあって、 大切な人もたくさんいる。 とてもじゃないけど 今死ぬだなんて、絶対の 絶対にできない。
しかし、目の前の男は クッとノドをならすと 唇を歪めて笑った。



「もう死んでるし」



そう言われ、 目を見開いた。
なぜだかそれに反論できない 自分がいる。 そうだ、 自分はこの世に 存在するものではなくなった ような気がする。しかし。 なぜ肉体があり、会話もでき、 動けるのか。

呆然としていると、目の前の男は ククっとまたいやらしく笑う。

「忘れたのか。 交差点で左折するダンプカーに 巻き込まれて即死」
「…」



記憶が頭の中を駆け巡る。 そうだ、あの日俺は大学の 講義を終えて、 バイト先のコンビニへ向かって 原付を走らせていた。 時間に遅れそうで焦っていて、 ダンプカーが 左折することに気づけなかった。



「…俺、死んだんだ」

イチトはがっくりと うなだれた。
バイト代で 買ったばかりの 新しい原付。ぐちゃぐちゃになったろうなあ。 バイトいけなくて、 店長はめっぽう怒ったに 違いない。 バイトが終わったら彼女と 食事の約束してたのに、 約束を破ってしまった。 そして 母さん、父さん、弟。 今、どれだけ悲しんでいるだろう。



そう思うと胸の奥が ぎりぎりと痛んで、 涙が押し出されるように してあふれた。頬を伝い顎を 伝い、上着を濡らす。

「ご愁傷様」

男は、その様子を 冷ややかに見ながら、 そうつぶやいた。
それを聞くや、イチトは眉をつり上げると ようやって立ち上がり、 男の胸倉を乱暴に 引っつかんだ。

「お前が殺したくせに!!」

「俺がやったんじゃない」

しかし男はそう言うと、 イチトの手をつかみ 猛烈な力で すぐさま引き剥がした。 その人外とも思える 力に、イチトはぞっとして よろよろと退く。
「俺は死神の教育係だ。 人間に直接手を下す事はしない」
「…教育?」
イチトは目をぱちくりとさせて 男を見た。 何かとてつもなく嫌な予感が して背中に汗がたらりと落ちる。

「お前は今日から死神だ。十川イチト」

「ウソだ!」

イチトは絶叫した。
人を殺すことを生業としている 死神だなんてとてもじゃないけど なりたくないし、やりたくない。 だいたい、死んだのなら、 天国だの地獄だの行くはずじゃないのか。 なぜこんな事にならなければいけないのか。

「だってお前がそう望んだんだろ?」

しかし男はただ冷静にそう返した。 イチトが愕然としていると、 男はふんと鼻をならす。

「人間は死んだ後様々な道がある。 その中でも、どうしても死にたくなくて なんとか生きていたいという、 軟弱で脆弱で臆病な奴が選ぶのが、『死神になること』だ」

「俺は…」

イチトはうなだれた。確かに、 死ぬ直前、その時。自分が感じたのは ただひたすらに「恐怖」だった。 死にたくない。死にたくない。 死ぬのは怖い。なんでもする、なんだってするから どうか死ぬのだけは、やめてくれと。 たしかにそう思った。

「別に死神は人殺しをしてる訳じゃない。 人間を『淘汰』しているだけだ」

「淘汰?」

真っ青な顔をしてイチトは聞き返す。 男は無言で頷いた。

「人間の生態系を守るために 不要な人間を消す」

「不要な人間だって!?」

イチトはかっとして 凝りもなく男の胸倉を引っつかんだ。 どうして、社会に迷惑もかけず、 ただ恙無く暮らしていた自分が 「不要な人間」扱いされなければならないのか。 世の中にはもっとたくさん 不要な人間がいるじゃないか、 そう思って激しい憤怒を瞳に灯す。 しかし男はにやりと、また唇の 端だけで笑う。

「パパとママに学費出してもらって 大学行って。なのに講義はサボり気味で アルバイトばかり。しかもバイトで貯めた 金は自分の趣味や彼女に使う」

「…」

イチトの額にびっしりと 細かい汗が浮いてきた。 この男は、なんでも知っている。 自分のことをなんでも知っている。 誰にも知られたくない ことも、恐らくは、知っている。

「そして、今お前はこう思った…『 世の中にはもっとたくさん 不要な人間がいる』」



「…!」



イチトははっとして、ひっつかんでいた 胸倉から手を離すと、 両の手で自分の頭をかきむしった。 言われたくないことを言われた、 その恐怖と焦燥で頭の中が 混乱する。

「やめろ、やめろ、やめ、」

「お前は自分の事しか 考えてない、 他人を否定するばかりの 最悪な人間。つまり不要ってことだ。 でも安心しろよ…そういうやつのほうが 死神に向いてる」

男はくっくとノドを二回鳴らして笑い、 イチトの肩をつかんだ。



「俺の名前は四之宮アカシ。 たった5年で 死神から教育係になりあがった。 人間の世界じゃあ 不要中の不要だったやつでも、 ここじゃ高い位置に立つことができるんだぜ」



イチトはただ呆然として、その 言葉を聴いていたが、 アカシの言葉に何かしらの希望を見出してしまった 自分に気づき、さらに絶望もした。





BACK