夢喰い人





自分の身体よりも大きな、 とてつもなく大きなクモが砂煙を巻き上げて全速力で追ってくる。 身体の色は紫と黒のしましま模様。 目は真っ赤にらんらんと不気味に光って、 口と思われる部分から唾液を大量に垂らして執拗に追ってくる。



食べられてしまう。



冬美はからまりそうになる 足をなんとか前に押し出して、 懸命に走る。 つかまったら食べられて、死んでしまう。 恐怖で気が狂いそうになりながら、 我を忘れて走り続ける。

しかし、そんな巨大なこの世のものとは 思えない怪物の前で、 高校2年の冬美の運動神経は たかが知れていた。 地面にあった石につまづいて 勢いよく転倒してしまう。 手をついて起き上がろうとした瞬間、 巨大なクモの牙が頭上に迫ってきた。



「助けてっ…!」



叫んで、 がばりと掛け布団をはねのけて起き上がった。 全身の毛穴から気味の悪い汗が 噴き出し、心臓がどくどくと鳴る。

(また、この夢…)

胸を押さえ、深呼吸をする。 ちくたくと、壁にかかった時計が 出す冷静な音だけが、冬美の部屋に 響く。





「わ、まずそう」

屋根の上に座り、 望遠鏡のようなものを手にした 青年は、嫌そうにそうつぶやいた。

「ま、外見はあんなキモくても 中身は何でできてるか、わかんねーしなあ」

そう言って、黒くて長いコートのポケットから 安っぽい電卓を取り出すとぱちぱちと打ち始める。

「外見からしてかなりの大物。50万… あ、でもこの家裕福っぽいし、こいつ 一人っ子っぽいし…もっとボッタくって… …100万か? でも」

そう言って、 望遠鏡のようなものを屋根に当ててのぞくと部屋が簡単に 透視される。 冬美は真っ青な顔のまま、 まだ胸に手を当てて乱れる息を 整えていた。



「…中身がイイモノでできてたら、 出血大サービスで、タダだな」



そう言って、金髪の髪をかきあげて 真っ黒の瞳をほの暗く光らせた。 それからスニーカーを素早く脱ぐと屋根の上に 置き、ひょい、とベランダに 飛び降りると、カギがかかっているはずの 窓を簡単に開けた。



「はい、こんばんは」

「だっ…!」

男はすかさず冬美の 口を手でふさいで、声を遮断した。

「大きな声あげちゃだめだよ。 おとーさんとおかーさんが来ちゃう」

そう言って、ゆっくりと手を離す。 冬美は恐怖で唇を小さく 揺らしながら、かすれた声をあげる。



「…誰?」



「そーだなあ…。ま、『バク』でいいや。年齢はまあ、26歳ぐらい」

そう言って、どすん、と 無遠慮に冬美のベッドに座る。 いまだ恐怖で顔を引きつらせている 冬美をちらりと伺うと、 バクは人懐っこそうな笑顔を向ける。

「バク。って知ってる? 悪夢を食べる、空想上の動物」

言うと、 冬美はぎょっとしたように目を見開いて、 バクの瞳を凝視した。 バクはおかしそうに目をすがめると、 にやりと唇を曲げて笑う。

「食べてやろうか?アンタの巨大グモ」

「…知ってるの?」

「さっきのぞいた。ありゃ怖いわ」



冬美は見開いた目をバクから外すと、 床に視線を落として押し黙った。

「ずっと苦しんでるの。1年ぐらい前から、 出てきて…いつも同じ夢…」

「ふうん」

「…食べてくれるの?」

「うまければタダ、まずければ100万支払ってもらう」

言うと、冬美はいぶかしげに 目を細める。

「味があるの?」

「ある。あのクモがどんな感情から作られてるかによって変わる」



「感情…」



冬美は、はっとしたように目を瞬かせ、ひざの上に置いていた 手をぎゅっと握り締めた。 額に浮いていた汗が頬の外側をつたい、手の甲に ぴしゃりと落ちる。

「夢に出てくるモノは、その人の感情を象徴している。 あのクモのキモさから言って…間違いなく、負の感情だな」

「…!」

冬美は、その言葉に小さく震えた。 バクはもちろんそれを見逃さなかった。 冬美の肩に手を置くと、 わざとらしい優しい声音を出す。



「思い当たること、あるんだろ?」



そう言って、くっくっとのどを低く鳴らして笑う。 半比例するように冬美の顔は真っ青になっていく。

「ちなみに負の感情の方が味はうまい。特に、 『殺したいほどの憎悪や嫉妬』なんかは、最高にうまい」

「思い当たるわ」

冬美は、静かな声でそう言うと 下方に落としていた目線を正面に向けた。

「わたし…クラスの女子から嫉妬されてるみたい」

「ほう」



バクは感嘆のような声を上げて、 目をすがめて冬美を上から下まで なめるように見た。

確かに、美少女と表現するのに 適した外見をしている。 体つきもほどよく筋肉がついていて、 恐らく運動神経もいいのだろう。 それに、彼女の本棚にたくさん並べられた 参考書類を見るからに、勉強もできる方らしい。 いわゆる完璧人間というやつか。

それから部屋をぐるりと見て、 バクはカレンダーに目をとめ、 意味深に唇を舌でゆっくりとなめた。

「なるほどな。 やはりあのクモは嫉妬心からできてるらしい」

「やっぱり、そうなのね!?」

冬美は叫ぶように言うと、 顔を手でおおってぶるぶると震えた。 どうやら泣いているらしい。

「わたし…昔からそうなの。 普通にしてるだけなのに、 なんだか、やることなすこと、周りの子の 反感を買うみたいで…」

「そりゃあそうだろう。それに、彼氏までいるんじゃあ、ねえ」

そう言って、カレンダーのすみっこに貼られたプリクラを 勝手にはがして、冬美の目前にもってくる。

「なかなかイケてるメンズに見えるけど… でも、このプリクラかわいそうだな。彼氏、半目じゃん」



「…」



冬美はおおっていた手をゆっくり 離すと、 バクの方を見た。いや、見たというよりかは、 にらんだに近い。

その瞳の奥底に本来の感情を見て取って、バクはにやりと いやみったらしく笑う。

「けどアンタはカメラ目線で綺麗に撮れてる…」

「何が言いたいの」

冬美は、今までとは同一人物とは思えない、 いやに低くくぐもった声を出した。

「別にぃ〜ただ、アンタって自分大好き人間なんだろな〜って、」

「そうよ、何が悪いの?」

すると冬美は素早く立ち上がり、腕を組み、ふんと鼻を鳴らして バクを見下すように見下ろした。



「あたし、自分が大好き。なんでもできるし完璧だもの。だから 嫉妬されるのも慣れっこ、仕方ないもんね。だからさっさと あのクモ退治してよ」



「嫉妬『される』ねえ…」



バクは冬美の言った言葉をおうむ返しにした。 同時に口の中に唾がたまってきて、 思わずごくりと飲み込む。

「されるじゃなくて、するなら、味が濃くてさらにうまいんだけどな」

「どういう意味よ!?」

それはほとんど絶叫に近かった。 冬美はヒステリックに高い声を上げて、わなわなと 震えた。

きたきた。

バクはその姿を見て、全身に細かい鳥肌がたつのを感じる。 これは、久々に、そうとうおいしいものが食べれそうだ。



「あんたは、ある誰かさんに嫉妬してる。 その誰かさんは、あんたに近しい人だ。 だからその嫉妬も、殺したいぐらいの猛烈なものだ。 クラスの女子があんたに対して抱くちょっとした嫉妬なんか比べものに ならない」



「わたしが、弘樹に嫉妬してるとでも言うの!?」



「そう。その誰かさんはあんたの彼氏。『弘樹くん』のことなんだな」



言われて、冬美ははっとして口をつぐんだがもう遅かった。
バクはパチンと左指をならすと、どこからか、とてつもなく 大きなフォークを出現させた。 ぬらぬらと気味の悪い輝きをともらすそれを手にもつと、 冬美ににじり寄る。

「さあ、食わせろよ。お前がお前の彼氏に抱いている、 殺したいぐらいの嫉妬心を」

「わたし、わたしはっ…!」

じりじりと近づいてくるバクから逃げるように、 冬美は後退った。しかし狭い部屋の中に逃げ場 などなく、どしんと壁に背中がぶつかる。



「わたし、初めはそんなんじゃなかった…」



初めは、本当に好きで、好きだから つきあっていた。
弘樹はあんまりパっとしない人間だったけれど、 そういうところも含めて好きだった。

しかし弘樹は変わっていく。 完璧でなんでもできる彼女につりあうようにと、 勉強やスポーツ、外見に至るまで、 向上させようと努力した。

彼女として、彼氏がどんどん成長していくことを 喜ぶのが普通だとは、頭では分かっていた。

しかし。

冬美はある時から危機感を覚えた。 弘樹が自分よりテストで良い点をとったら どうしよう。体育祭で自分より活躍したら どうしよう。自分より目立つ存在になったらどうしよう。 そんなのはイヤだ。常に自分が上じゃないとイヤだ。



いつの間にか、冬美は弘樹の努力とその結果に 嫉妬するようになっていた。



「じゃ、いただきまーす」



しかしバクは、ぼろぼろと涙を流す冬美に構わず その異様な大きさをほこるフォークを頭上にかざし、一気に 振り下ろした。
フォークは冬美の額に突き刺さり、 後頭部から先端が飛び出す。 しかし真っ赤な鮮血が出ることはなく、冬美は 時がとまったように目を見開いて静止する。 それからバクはにやりと笑うと、じりじりと フォークを抜いた。 先端には紫色の液体がびっしりとこびりついている。

「色はアレだけどな」

そう言って、フォークの先端を 口にもってくるとぺろりとなめた。

「松坂牛とか、きっとこんなんだろな」

満足したようにそう言うと、 大切そうにフォークの先端を、綺麗になめた。





「また頑張りな」

バクは目を閉じて気を失っている冬実を見下ろしながら、そう言った。
目が覚めたとき、 冬美の中の嫉妬心は綺麗さっぱり消えているだろう。 夢に巨大グモが出てくることもない。 しかし、もちろんそれは一時的な ことであって、彼女の性格が治らない限りは、 また同じことの繰り返しになるのだが。

「まあ、繰り返してもらったほうが、 俺としちゃありがたい」

バクはにししっと歯を見せて笑うと、パチンと 指を鳴らしてフォークを空気中に収納させた。 そうして大きな欠伸をひとつする。 お腹がいっぱいになると、人間は眠たくなるものだ。

特に、おいしいものを食べた後は。





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